我慢してたこと。

観点に気づくこと。

それによって、世界はどんどん変わって観えてきます。

 

私は最近、心の底からものすごーく我慢してたことに気が付きました。

正しくは我慢してきた!といことに。

 

あれを買うのを我慢する。

食べるのを我慢する。

子供たちのことを怒るのをぐっとこらえる。

 

なんてもんじゃありません。

もっともっとずーーーーーっと

深いところで

我慢してきました。

 

それは仲間からの質問や背景の共有から徐々に引き出してもらえた過程で気付くことができました。

 

どんなことかというと、

 

表現してはいけない。

表現できない。

言えない。

言っちゃだめなんだ。

 

 

と、心のものすごーーーーーく

深いところで、思い込んで、

ぐっとこらえて、

そんな思い

どこにもなかったことにしていました。

表現してはいけないこと。

我慢するのが当たり前すぎて、

我慢が当然になってたんですね。

 

 

きっと私だけじゃないと思います。

 

その我慢は悪いことでも

良いことだとも決められません。

決めつけたって仕方ありません。

 

この日本の海が、

私の育った環境が、

育った時代が、

そうだった。

ただそれだけ。

 

 

しかし、

その自分の我慢。

なみだ。

なぜ我慢が必要だったのか。

その背景、

我慢が生まれたバックスクリーンを

見た時に。

涙がジワーっと出ました。

 

そして、他の人の涙もわかるようになりました。

 

特に、我が子の涙。

妹が産まれて、

お母さんが大変だから、

これを言うのはやめとこう。

 

抱っこしてもらいたいけど、

「抱っこして。」

というのはやめとこう。

 

「私だけ見て」

と言いたいし、私だけみてもらいたいけど、

妹も可愛いから、言うのはやめとこう。

 

妹ばかり膝に乗って、いいな。

私も乗りたいのに。

だけど、もうお姉ちゃんだから

やめとこう。

 

そんな5歳の娘の心、涙、我慢

 

今まで観えてなかったな。

私も弟に対して、

お母さんに対して、

同じようなこと思ってたな。

 

そんな背景が観えるようになりました。

 

子供たちって本当に我慢してるんです。

 

家では見せない表情、気持ちを

学校では意外と見せていたりします。

家で見せれない子供たちは余計に学校で見せていたりしてたな。

支援員をやっていた時、

よくそう思いました。

 

教育に関わる仕事をしていたにもかかわらず、

我が子の我慢に気が付きませんでした。

 

自分のことって、

意外とわからないものです。

 

自分の我慢に気付けたことで、

我が子の我慢に気が付きました。

 

何度も言いますが、

我慢が良い、悪い、

という話ではなく。

 

気付くこと。

発見すること。

○も☓もないところから観察すること。

 

このことがもたらす

影響は、本当にすごいです。

 

語彙力がなくて悲しいのですが。

本当にすごいです。

 

世界が変わります。

認識の変化=観えてる世界の変化

です。

 

すごいなぁぁ!!!!