一人芝居

福永たくじ先生の還暦・一人芝居

見に行きました。

 

先生の一人芝居は必ず、

笑いあり、涙ありの感動を与えてくれます。

 

何度でもみたくなってしまう。

 

映画やドラマを見たり、悲しいニュースを見たり聞いたりしても、

涙を流すことまではない自分。

 

しかし、先生の一人芝居では

必ず心が動かされ、毎回、涙してしまいます。

 

福永先生の一人芝居には

何があるんだろう??

どうしてこんなに涙してしまうのか。。。

 

 

どこにでもいそうな人物

誰もが抱くような感情

憎しみ、嫉妬、不安、恐怖

 

自分は惨めだとか、

自分なんてちっぽけだ、

などと思う負の感情も。

 

異質な相手に抱く

嫌悪感、見下したくなる感情。

そんな気持ち感情を抱く自分に

一番、嫌悪している自分。

 

そんな自分を見たくなくて、

隠したり、ごまかしたり、

無かったことにしたり。。。

 

 

だからこそ、

良いも悪いもないところから

 

素直な感情を

 

その感情を抱く背景とともに

 

丁寧に表現してくださる先生の姿に自分を重ねて、感動し涙してしまうのではないかと思いました。

 

先生の舞台を見ていると、

「誰だってそうだ!」

「誰だって同じなんだ!」

「心があるんだ!」

「心が動いていいんだ!!」

 

負の心だろうが、

それを醜いと思っている心だろうが、

隠さなくっていいんだ!!

 

 

自分でも忘れていた

つらさ、

悲しさ、

寂しさ、

苦しさ、

惨めさ、

孤独、

 

でも、これがあるから!

こんな感情があるから!

だから!!

だから私達は生きているんだ!!

こんな感情が溶けた瞬間!

人ってこんなもんじゃない!!

こんな存在じゃない!!って

 

 

それを舞台の上で生き生きと表現してくれるから、

まるで自分のことを表現してくれているかのような感覚になります。

 

 

だから老若男女問わず

また観たい!と思わせてしまう理由の一つではないかと思いました。

 

 

日本は

心を抑えすぎているなぁと日頃から感じます。

 

正解を求める教育は、

自分の負の感情を間違っていて、

正解ではないから、恥ずかしいことだ。

という感覚を子供達に植え付けてしまうことになるんじゃなかろうか。

 

我慢を要求するだけでは

抑えるトレーニングしかできません。

 

 

だから、抑えすぎて爆発してしまう。

 

 

それだけじゃなく、

相対比較による自分の思い方考え方も背景にあると考えます。

 

この人に比べたら、

私のことなんて大したことない。

私のことなんて話すまでもない。

この人のほうが可愛そう。

この人に比べたら、私は幸せだ。

 

そんなふうにしか、

『幸せ』を測れなかったこれまでの教育、思い方があると思います。

 

 

そんなこんなもぜーんぶ解いて、

みんな一人ひとりに、

たったひとつの『尊い物語』があるんだ!

 

先生のお芝居を通して

そんな自分の尊い物語を重ね観ているからこそ、

感動し、涙するのではないだろうか。

 

 

改めて、

自分の物語を丁寧に見つめ直してみようと思うきっかけとなりました。