人間は環境でできている。

私には5つ離れた弟がいます。

 

両親は共働きで、

仕事の関係上、家にいても仕事をしていました。

姉と弟にはさまれて産まれた私は

母や父と遊んだ記憶がほとんどありません。

質問してもらった記憶もほぼなく、

会話をした記憶もあまりありません。

母から命令された指摘されたりした記憶は今でも鮮明にあります。

嫌な記憶ってよく残るものですよね(^_^;) 

 

弟が産まれてから

なぜか保育園で一人も友達が作れませんでした。

周りの人はみんな無関心か

いじめる相手。

 

なんだか、そんな風に世の中を捉えるようになっていました。

 

無関心は両親

いじめるのは姉とか保育園の同級生

またポツンと一人でいた私に

何も教育的手助けをしてくれなかった

保育園の担任。

 

私は5歳なりに弟を守ってあげなきゃいけないんだ。と心で固く決めていました。

弟がいじめられないように。

 

5歳が考えることだから

とても単純で

明快で

でもその心はいつも悲しくて寂しくて

悲しい!寂しい!

って声にも出せず

自分の心が分かるわけでもなく

ただそんな世界を認識を作ってしまっていました。

 

でもそれだけじゃなく、

仕事で疲れている母を助けなきゃ

疲れているから寝かせてあげよう。

ほんとはもっと絵本を読んでもらいたいけど、やめとこう。

 

なんて、とても健気なことを考えていました。

とても優しいんです。

子供って。

自分の心を押し付けないんです。

押し付ける力がないのもあるけど

子供の目から観える世界は

シンプルなんです。きっと。

 

今、

5歳と1歳の娘がいて

私が小さかった時と同じように、

パパは仕事から帰るのがとても遅く、

私もたまに仕事をしたりして

自分が余裕のない時は

母がやっていたのと同じように

イライラしてしまったりします。

 

でもこれはそんな環境に育った自分の背景があって

36年間ずっとそうやって

余裕がないときはイライラしちゃったり

誰かのせいにしたくなったり

せいにしてしまったり

その習慣がオートで発動してしまうから

 

心はそれを望んでないんです。

どんな母親だって

誰かのせいになんてしたくないです。

ただ、無意識なんです。

 

だからオートで反応してしまい

本当はもっとこうしたかったのにな

と反省したり、

次こそはこうやってみよう

と同じことの繰り返しになってしまうんですよね。

 

大切なのは、オートで反応しちゃう

自分がつく上げてしまった無意識の考えの道を○も、☓も、ないとこから

しっかり観察すること。

そして無意識を掴んで

手放すこと。

 

そうすることで36年間積み上げてきた

無意識の繰り返しに終止符が打てたらなぁと思います。

そしたらきっと、

自由自在の今ここわくわくで

生きられるのかなぁと思います(*^^*)