不登校

小学校3年生の時、

不登校気味でした。

そんな、私が小学校の先生を目指したなんて、ちょっとおかしいですね。

 

学校行きたくないし、

どうしても休みたいから

家を出るふりして、裏庭にいました。

 

その頃の私は、

どうやったら学校休めるかだけを考え

計画していました。

 

その日は裏庭に隠れることに成功し、

家族みんなが学校や仕事に出かけた後

鍵を使って家に入りました。

 

気持ちは晴れ晴れしていて

今日は学校に行かなくていいんだー!

ってすごく嬉しかった。

 

でもその1時間後です。

家に電話が鳴り響きました。

当時は携帯などありませんでした。

 

いや〜な予感

その1時間後

母が車で帰ってきました。

 

すごい、勢いで家の戸を開けると

「ともちゃん!」

怒っている声が聞こえました。

 

私は震え上がって、

隠れるところも無いのに

急いで、かみの間の壁際に身を寄せました。

 

すぐに見つかり

「もう!なんしようと!」

そう言って母が帰って来ました。

 

母も仕事を抜け

急いで帰ってきたのでしょう。

私に対して“怒り”の感情しかなかったようでした。

 

 

「どうして休んだのかな?」

「そんなに学校行きたくなかったんだね。気付いてあげられなくてごめね。」

「学校行きたくない時もあるよね。」

 

 

もし私の子供が不登校になったら

こんな言葉を絶対かけたい。

 

 

母は仕事をしていて忙しかったので

母の頭の考えを占めていたのは

自分の子供のことじゃなく

母の務める学校のクラスの子供達のことだったんでしょう。

いいえ、母の思考からすると

自分が抜けてる間

クラスに担任が不在なのはいけないから、

他の担任外の先生がクラスに入るか

隣のクラスの先生が一緒にみてあげるか、

 

どちらにせよ

自分が抜けてる間に

クラスの面倒を見てもらうことに対する

“申し訳なさ、迷惑かけちゃいけない”

それしかなかったでしょう。

母の頭の中は。

 

 

私はすぐに母に手を引っ張られて

話も聞かれることもなく

行きたくない学校へと連行されました。

 

30年くらいたってるけど

あの時の惨めさ

未だに覚えています。

 

 

母の悪口を言いたいわけではないんです。

 

 

その時のトラウマがずぅっと私を作ってる

 

ってことです。

 

人間の脳は

○部分しか捉えられない

○違いしか捉えられない

○それなのに完全だと思い込む

○有限化する

機能があるんですが

 

それによって偏って作られた記憶

しかも強烈な記憶が

判断の基準を作る基盤になってしまいます。

それが、心地よかった経験体験の場合もあるけど不安・恐怖の経験体験の場合もあります。

 

私は30年たった今でも

あの時の記憶から離れられてないんです

 

他にも色んなインパクトのある経験体験も

もちろん緻密に絡まって判断基準を作ってますが。

 

 

あの時きっと

「人間なんて信じなーい!」とか

「私の気持ちはわかってもらえなーい!」とか

決断しちゃったんですよね〜

 

その決断がずぅっと現在の人との関係性づくの根底を流れちゃってます。

 

だから

なかなか先に進めない。

 

でも

進みたい。

 

ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでる状態ですね。

 

ここまで読んでもらえて

ふぅ〜ん

あなたより

私の経験体験の方がすごいよ。

もっと酷いトラウマあるよ。

っていう方がいらっしゃいます。

逆に、かわいそうだな。

っていう方もいらっしゃるかもしれません。

 

ぜひそんな方たちのことも知りたいんですが

 

仕組みがあって

人間の脳は

○部分

○違い

○不完全

を捉えられない

○有限化させてとる

 

ので、

ここまでの私の話で違いや部分だけをとって、

自分の経験体験と比較し、

判断してしまうんです。

上か下か、○か☓か

 

そうやって判断基準が作られてるんです。

みーんなにあるんです!判断基準!

 

問題は

今ここ、その判断基準から逃れられていないこと

これから作る予定の未来も

その判断基準が基準になって作られていく!

ということです。

 

それが全ての問題の根源なのです!