批判と否定を子供も大人も混同する。
前のブログで批判と否定は違うし、
誰もがみな、違う観点を持っているのだから、違う考え行動が生まれるのは当然。
だから批判したり、されたりは当然のことだと記載しました。
そして、
日本の習慣・文化から、普段から批判したりするコミュニケーションはあまりしないこと。
だから批判と否定を混同しがちなのではないかと気が付きました。
私は母や主人から、自分のやりたいことを「違うよ。しない方がいい。」と言われたことがあります。
その時はとても悲しかったです。
私の意思や気持ちは無視されたー!
と思いました。
その後、人間不信になったし、自暴自棄になりました。
今思うと、それは批判=否定と私が捉えていたからだったのではないかな。
この宇宙全て、人間一人ひとりの脳が見せる認識世界だと、観術・認識技術は言っています。
批判されたから自己否定、私なんて必要事項ないんだーと、私なんてが認識してしまったのです。
子育てにフォーカスをあてると、
子どもたちは
「危ないから、そこに登らないで。」
「危ないから、鉛筆持って走らないで。」
などと、日常から保護者、特には母親に言われています。
こちら側が、ちゃんと
批判(注意)≠否定(存在否定)
という認識を持って表現しないと
批判=否定
になりかねないのではないかと、思ったのです。
そう思った理由は、
5歳になる娘が、私が注意をするととても嫌そうな態度を示すからです。
「危ないことは分かってるから注意しないで。」
「分かってるのに、ママは信用してない。」
という、気持ちがあるのかもしれませんが。
“あなたの人格や尊厳を否定してるのではないよ!”
この心を自分の中に意識して、子育てをすることは、とても重要なのではないかと思ったのです!
時にはストレートに伝えてもいいし。
子供はできることが大人に比べると少ないです。
大人からみると、それは当然なのですが、子供から観た世界は、時には自信をなくしてしまう世界にも写るのではないかと考えます。
だからこそ、否定の反対で、
あなたは無限大の可能性そのもの〜〜〜!!
と意識して、大人が認識することが大切だと思います✨
子供を無限大可能性そのものだと認識すると同時に自分自身を無限大可能性そのもので観るトレーニングが必要です!
そのトレーニングができるのが認識技術です。
関心のある方は、ぜひコメントを書いてくださると嬉しいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。