理想を追い求めたけど、その理想が実は○○だった。
これまで私は
まともで自立した大人にならなければならない。とか
結婚して子供を産んで、家を建てて、
まあまあ一般的かそれ以上くらの収入があって、
傍から見ても、「ザ・幸せ」みたいなものを理想として、目指していました。
そうなるように努力もしました。頑張っていました。
その理想の為には、
旦那さんをたてたりしなければいけなかったし、子供も優しい子に育てなければならなかったし、家の中もキレイにしておかねばならなかったです。
学校や社会の集団の中では可もなく不可もないよう、それなりに上辺で話して、バカにされないように生きていかねばならなかったです。
でもそれだと、
理想を追い求めるのに終わりがみえなかったし、
全て人のマネだったし、
そこに“自分”がいない感じがしていました。
この人生生きるのに自分じゃなくていいんじゃない?みたいな。
結局、私は何をしたいのか、どう行きたいのか定まっていませんでした。
母は学校の先生をやっていましたが、
子供達や保護者の為にすごく頑張っていました。
身を粉にして。
しかし、退職後の今、体調を壊し、
今まであんなに頑張ってきたのに、
母の中で問題や不安は次から次に起こっています。
全然幸せそうに見えません。
常に起きてもいない未来に不安しています。
私も母の姿をみて、教師になりました。
自分が自信のない子供だったので、
子ども達に自信を持たせられるような教師になりたいと思っていました。
また、自己肯定感を持たせたかったです。
そんな夢を持って教師になりました。
しかし、実際にやってみて今思うことは
自分自身が自己肯定感を持っていなかったし、自信も持っていなかったのです。
なので、何をやってみても子ども達が本当に自己肯定感や自信を持てたのか、わかりませんでした。
道徳の時間を使って色々やってみました。
他の教科の時間にも学び合いを取り入れてみました。
しかし、自信のない子はずっと自信ないし、
自信がありそうな子でもやる気がなかったりしました。
ある先生が言っていました。
「自分のクラスで自信が持てても、次のクラスになったら、また逆戻りで自信ややる気を失う。」と。
話の道がそれましたが、
自信を持たせたいと思っていた私が自信がなかったし、自信を持つ自分の イメージがなかったのです。
自己肯定感を持たせたいと思っていた私が自己肯定感を持っていなかったし、自己肯定感を持つ自分のイメージがなかったのです。
まずは自分自身の変化が必要なんだ!!
と気が付きました。
次に続きます。