我が子の病気・怪我をどう乗り越えるか

2歳になる次女が熱を出したり

 

手足口病になったり

 

月に一度は体調を崩しています。

 

そういう時、

 

「あ〜あ、無理させちゃったのかなぁ」

「あれがいけなかったのかなぁ」

 

とか、心に浮かぶのは後悔の念です^^;

 

私が無理させたんじゃなかろうか。

私のあの行動がいけなかったんじゃなかろうか。

 

そして、自分を責めだす。

 

 

どこかにこの気持ちの行き場を求めてしまうんですね。

 

 

何がいけなかったのか、

 

栄養のある食事をさせてなかったからか、

 

ちゃんと決まった時間に起きて、

決まった時間に寝かせてなかったからか、

 

 

などなど

きりがありません(^_^;)

 

 

でも

よ〜〜〜〜〜く考えてみてください。

 

 

子供が熱を出した。

 

この現象のどこからどこまで

私は認識できているのか?

 

 

人の認識できる範囲というのは限界があります。

 

 

例えば

細菌を人間の目で見ることはできません。

見えないから、手を洗ったり、

うがいをして、あたかも細菌を体の外に出したっぽくします。

でも、見えませんよね。

 

「あー今出てってる✨」

 

って分かりませんよね、笑

 

 

また、

すっごく栄養があると言われているものを、

食べさせます。

うわー✨今、子供の体の中で栄養がどんどん行き届いてるよ✨

 

なんて、分かりませんよね。

 

 

人間の認識できる範囲なんて

そんなもんです。

 

 

不確かなことなんです。

不完全なんです。

 

 

なのに、

その頭の中で、ついつい答えを出そうと努力してしまう。

頑張ってしまう。

 

 

そうしてしまうのは、

受けた教育や周りの環境の影響もあるかもしれません。

 

 

それは良いことでも

悪いことでもないと思います。

良い、悪いと決めつける必要のないことだと思います。

 

 

確実に言えることは、

不完全な認識、

不確実な認識を持って、

 

 

何かがいけなかった。

 

 

と、何かを責めたくなる。

否定したくなる。

 

 

その思考パターンがある。

 

 

ということです。

 

 

そこから、自由になってみませんか✨

原因があって結果がある。

なぜ生きてるんですか?

 

なぜ私は存在してるんですか?

 

こんなちっぽけで惨めで、

人に合わせるしかできない。

 

人の目ばかり気にして、

その気はなくても

ついつい人の真似ばかりしている。

 

誰かと同じじゃないと不安でしかたない。

 

 

どうですか?

こんな私を馬鹿にしますか?

 

 

私はやっとこの自分と向き合うことができました。

 

 

これまでは、見てみぬふり。

 

こんなに惨めで、残念な私を、 

 

見たくなかった。

見れなかった。

 

 

見たら死んじゃうって思ってました。

だって、自分で自分のこと、

 

“価値なし!”

 

って確認することだったから。

 

 

そんな自分の恐怖、狂気にも似た感覚を

 

誰にも悟られまい。

 

誰にも気付かれまい。

 

と必死に隠してきました。

 

 

色んな言い訳で上書きしていました。

 

 

いつの日からか、

そんな上書きしていることすら忘れてしまい、

 

言葉や行動をそれっぽく見せて、

まあまぁ幸せっぽく見せて、

 

これが私だ!

 

と偶像を作っていました。

 

 

だけど、だけど、

 

心が叫ぶんです。

 

何か違う!

 

何かおかしい!って。

 

 

それが本当に幸せなの?

 

 

それが本当にやりたかったことなの?って。

 

 

違うよね。

 

 

燃え上がりたいんだよね!! 

 

 

誰かと一緒に感動し涙し、分かち合い、

心震わせたいんだよね!

 

 

こんなに悲しみに溢れた世界を変えていきたいんだよね!!

 

 

でもね、

 

それをするには、

 

上書き保存で創り上げちゃった

偶像の自分では、できないんだよ。

 

 

本当の自分と向き合わなきゃ。

 

本当の自分を救ってあげなきゃ。

 

抱きしめてあげなきゃ。

 

 

心置いてけぼりだよ。。。

 

そんなんで、燃え上がれないよ。

 

 

外じゃないんです。

 

 

中の中のずっとずーっっと中のそのまた中なんです。

 

 

そこにしか、答えはない!

 

 

答案用紙や教科書の中に答えはない!!

 

 

答えは今ここにあるんです!

 

 

恐れる必要なし!

 

 

なぜなら、

恐れるようにできているのが人間で、

 

恐れを抱き、

不安し、

上書き保存しちゃうようにつくられているのが人間なのです。

 

 

だから、

 

なぜ生きているの?

 

なぜ存在しているの?

 

 

の疑問が生まれるのです。

 

 

恐怖、不安、混沌

 

 

これらがなければ

“答え”に辿り着くための

“疑問”は生まれませんよね。

 

 

ちゃんと原因があって結果がある。

 

 

これを、一つずつ、丁寧に説明しているのがNテックです。

 

 

次世代の希望なんです。

 

 

この対称性を知ることで、

 

 

無理なく、すんなり、

自分の中を覗くことができました。

 

 

とっっても楽になりました。

 

 

とっっても、自由になりました。

 

 

答えは

外ではなく、中にあるんです✨

一人芝居

福永たくじ先生の還暦・一人芝居

見に行きました。

 

先生の一人芝居は必ず、

笑いあり、涙ありの感動を与えてくれます。

 

何度でもみたくなってしまう。

 

映画やドラマを見たり、悲しいニュースを見たり聞いたりしても、

涙を流すことまではない自分。

 

しかし、先生の一人芝居では

必ず心が動かされ、毎回、涙してしまいます。

 

福永先生の一人芝居には

何があるんだろう??

どうしてこんなに涙してしまうのか。。。

 

 

どこにでもいそうな人物

誰もが抱くような感情

憎しみ、嫉妬、不安、恐怖

 

自分は惨めだとか、

自分なんてちっぽけだ、

などと思う負の感情も。

 

異質な相手に抱く

嫌悪感、見下したくなる感情。

そんな気持ち感情を抱く自分に

一番、嫌悪している自分。

 

そんな自分を見たくなくて、

隠したり、ごまかしたり、

無かったことにしたり。。。

 

 

だからこそ、

良いも悪いもないところから

 

素直な感情を

 

その感情を抱く背景とともに

 

丁寧に表現してくださる先生の姿に自分を重ねて、感動し涙してしまうのではないかと思いました。

 

先生の舞台を見ていると、

「誰だってそうだ!」

「誰だって同じなんだ!」

「心があるんだ!」

「心が動いていいんだ!!」

 

負の心だろうが、

それを醜いと思っている心だろうが、

隠さなくっていいんだ!!

 

 

自分でも忘れていた

つらさ、

悲しさ、

寂しさ、

苦しさ、

惨めさ、

孤独、

 

でも、これがあるから!

こんな感情があるから!

だから!!

だから私達は生きているんだ!!

こんな感情が溶けた瞬間!

人ってこんなもんじゃない!!

こんな存在じゃない!!って

 

 

それを舞台の上で生き生きと表現してくれるから、

まるで自分のことを表現してくれているかのような感覚になります。

 

 

だから老若男女問わず

また観たい!と思わせてしまう理由の一つではないかと思いました。

 

 

日本は

心を抑えすぎているなぁと日頃から感じます。

 

正解を求める教育は、

自分の負の感情を間違っていて、

正解ではないから、恥ずかしいことだ。

という感覚を子供達に植え付けてしまうことになるんじゃなかろうか。

 

我慢を要求するだけでは

抑えるトレーニングしかできません。

 

 

だから、抑えすぎて爆発してしまう。

 

 

それだけじゃなく、

相対比較による自分の思い方考え方も背景にあると考えます。

 

この人に比べたら、

私のことなんて大したことない。

私のことなんて話すまでもない。

この人のほうが可愛そう。

この人に比べたら、私は幸せだ。

 

そんなふうにしか、

『幸せ』を測れなかったこれまでの教育、思い方があると思います。

 

 

そんなこんなもぜーんぶ解いて、

みんな一人ひとりに、

たったひとつの『尊い物語』があるんだ!

 

先生のお芝居を通して

そんな自分の尊い物語を重ね観ているからこそ、

感動し、涙するのではないだろうか。

 

 

改めて、

自分の物語を丁寧に見つめ直してみようと思うきっかけとなりました。

教育②

社会に求められる人材に子供を育てたいですか?

 

社会に貢献できる大人に子供を育てたいですか?

 

それじゃ、今の社会はどんな社会ですか?

 

今の社会をどう思いますか?

 

 

こんな疑問を置き去りにして、

今の教育は行われています。

 

そもそも

子供を今の社会の型にはめて

今の社会に貢献できる子供を育てたいですか?

 

虐待

自殺

うつ

いじめ

戦争

 

 

この今の問題、

一個人が解決できそうにない社会の問題を解決するような人を育てるには??

 

自分の家庭を持って

子供を産んで

育てて

周りの人に迷惑をかけず

地道に働いていたらきっと✨✨

 

私も前はそんなことを考えながら家庭を持ったらいいのかな、

一人前になれるのかな、

と思っていました。

 

でも錯覚でした!

 

それは作られた価値観

作られた思考、感情、イメージだったなぁと思います。

 

人間が持ってしまう判断基準があります。

 

その判断基準の引き起こす問題を

抜きにして

社会を変えたり、

人生を変えたりする、

そんなことは実はできません!

新しい教育によって、

私は知ることができました(^^)✨

 

これからの教育になくてはならない教育

それはNテックです!

 

教育①

人と同じだと、とっても安心しませんか?

 

そんな自分がいます(^^)

 

だけど、これからの世の中

 

個性個性って言われますよね。

 

個性って急に言われても、

何が個性で何がオリジナリティなのか?

 

社会に、世界に求められている人材は

個性を思いっきり発揮できる人ですよね✨

 

そんな子供を育てたいと親は一生懸命です✨

 

 

あれれ?

でもやっぱり、周りを見て、

 

他と比べて、うちの子はどうかな?

 

ちゃんと生きていけるかなって不安になったりしませんか?

 

そして、うちの子も一緒だよ〜

と言われると安心したりしませんか??

 

人間は何を基準に生きているのか?

 

相対比較です。

 

ある程度同じレベルくらいの人間を比べて、相対比較して違いを認識したり、同じことを認識したりしているのです。

 

それで、うちの子は違う。と不安になったり。

うちの子も一緒だ。と安心しているのが

親の心です。

 

私も例外ではなく。

 

それじゃぁ何を持って

 

どこを持って、

 

オリジナリティというのか、

個性というのか、

 

次に続きます(^^)

学校、小さな箱

クラスの中
謎の階級がありませんでしたか?


私達の小学中学時代はその階級がはっきりとありました。
私は底辺だったなぁ

 

男子に人気のある人
女子に人気のある人

だいたい、
足の早い人
恥ずかしがらずに自分を出せる人
男女問わず誰とでも話せる人
派手な人
面白い人
かわいい人
かっこいい人
おしゃれな人

それって大学に行っても同じで

働きだして初めてその呪いから解けた
気がしました。

 

特に私が今住んでいる福岡は「同じ」

ことはかなり重要な要素で、

奇抜な言葉、行動、ファッションをしてると

浮きます。

 

それは東京に住んでいた時に感じたことです。

 

東京って自由だなぁ、

どんな服装してても、

全然浮いてない✨

 

徐々にその流れは、流れてきているけど、

やっぱり底辺にあるのは、

誰かに合わせたい。

誰かと同じだと、安心する。

 

ファッションも

話題も

生き方も

 

みんな違うのに、

同じ人なんて一人もいないのに、

 

同じだと安心してしまう。

 

でも、時に息苦しさ

苛立ちなどを感じてしまいませんか?

 

人の真似なら

自分のオリジナルは

必要ないよねって。

おしゃべりは楽しい?

例えば

私がコーラの入ったコップをもっています。

 

友達がオレンジジュースの入ったコップを持っています。

 

私は友達にこのコーラの味を

知って欲しいと思い

「ちょっと飲んでみない?すっごくおいしいよ✨」

 

と勧めてみます。

 

その時友達が

オレンジジュースの入ったコップに

私のコーラを入れて飲んだら

どうなると思いますか?

 

コーラとオレンジジュースは

混ざっちゃいますよね!

 

私はコーラの味を試して欲しかったのに

 

試して欲しかったコーラの味とは

違った味を受け取ってしまいますよね。

 

 

普段のおしゃべりは

こんなことをやりあっています(笑)

 

ギャグです!

 

そんな状態で

学校などでは「話し合えばわかる。」

とか言っちゃってます。

今、

授業では話し合いや議論を推進していますが

そもそもの人間の脳の機能を無視して

まだ「やればできる」状態です。

 

 

「言ってもわかってくれない。」

と、ますます思いますよね。

 

「自分が何いっても、何しても伝わらない。」

に、なりますよねーー!

 

 

それもこれも

みーんな、人類の陥りやすい共通点なんです。