子供の友達

近所に住む子供達の中でおやつパーティーなるものが存在しています。

長女もそれに誘われ、行くようになりました。
しかしもともと幼稚園終わりに帰ってきてすぐ
「お腹すいたー!おやつ!」
と言って、うちで3時ごろおやつを食べています。

おやつパーティーに呼ばれるのが4時頃。

長女は二度に渡っておやつを食べることになります。

最初は友達付き合いもあるし、
遊んでいる中、他の子はおやつパーティで自分だけおやつを食べないというのも、
なんだか”のけ者”にされてるようになるのではないかと思い、少しだけお菓子を持たせて行かせていました。

しかし、もともと食事が苦手な長女、
おやつをだらだら食べることにもなり、
夕飯を食べる量もやはり少なくなりました。

そこで、
「おやつパーティに行くなら、家では食べられないよ。」と伝えて、
おやつを家で食べるときはパーティには参加しないことを約束させました。

しかし、話をよく聞くと、
近くに住む友達から
「おやつ持ってきてー!」
と言われるそうです。
長女もそう言われたから、おやつ持っていかなきゃーっという気持ちになるようでした。

「うちにあるおやつはうーちゃんにあげるためにあって、Aちゃんにあげるものじゃないんだから、Aちゃんが食べたいと言っても勝手に持っていってはだめだよ。まずはお母さんに聞いてね。」
と言い聞かせました。

長女からよく
「Aちゃんはたくさん私のおやつを食べてた。」
と聞いていたので、Aちゃんは他の子たちのお菓子目当てなのかなぁという印象を受けていました。

そして数日後、長女が
「AちゃんはB君のお家に行って、B君のママにお菓子ちょうだい。って言ってたよ。」
と聞きましま。
私は何だかショックを受けました。
想像がふくらみ、あの時の光景が目に浮かびました。

それは出産前に勤務していた学校で担任をしていた時の出来事です。
ある児童が、友達の1000円分のお金でコンビニでお菓子を買わさせ、3〜4人ほどでそのお菓子を分けて食べた、というものです。
買わさせた児童がいうには、強要したわけじゃない。と言いました。
しかし、1000円使った方からすれば、本当は買いたくなかった。
強く言われて仕方なく買うしかなかった。
本当は自分のお金だから他の子たちの分まで買いたくなかった。と後から親に打ち明けたそうです。

自分がその1000円の持ち主の子の親だったら、買わさせた児童に対し、何て子なんだろう!と怒ると思います。

このことは最終的に学校で対応することとなりました。
 
そんな私の経験がAちゃんに対する想像を膨らませてしまい、
もしかしてAちゃんが大きくなったら友達にお菓子を買わせてしまうことになるかも!という思いが胸をよぎりました。

そこで、これはAちゃんの親に知らせておいた方がいいはずだ。と思い、
Aちゃんのママに会ったとき
「AちゃんがB君のおうちに行って、おかしちょうだいって言ってたみたいだったよ。」
と伝えました。
すると、Aちゃんママの反応は「そうか~。」
と微妙な反応でした。

私は良かれと思って、伝えました。
私の想像では「え~!それはやめさせないと。」
と言うのを想像していました。
しかし、微妙な反応で、違う家の親におかしをねだることを悪いことだという感じではなさそうでした。

私はAちゃんママのその反応がずっときになっていました。
そこで、無意識エンジン発見セッション士仲間で2児のママでもある友人にその出来事を相談しました。
友人から最初に出てきた質問は


友人「ともちゃん(私)は、何を伝えたかったの?」


私 「おかしをねだっていたら、小学校や大きくなった時、困るんじゃないか。ということ」

私はこの時すでに気づいてしまいました。

自分の判断基準では、人のおうちでお菓子をねだることは✖です。
でも、それは、地球上でただ一人の私の判断基準でしかなーい!ということに。
この時代、この国、この地域、
この両親、この性別、この家族構成、
この職業、この考え方
などなど、、、

私を作り上げてきた環境(海)において、作られた判断基準の私だから、
人のおうちでお菓子をねだることは✖だけど、
みんな違う。
人間であれば、76憶人全員違う。

私は、自分の判断基準で人を〇、✖していたんだ。。。
その次元のコミュニケーションをしていたんだ。。。

そうわかった時、涙がでました。
心の底から、こんなコミュニケーションやめたーい!!!!
と強く思いました。


「だけど、76憶人みんながやってる。
 人類が誕生してからずーっとみーんながやっちゃってるんだよ。」

自分の判断基準でこれは良いこと、これは悪いこと、
良いときは良いけど、
悪いときは
「この人おかしいんじゃない?非常識だな。」
「なんでわかってくれないんだろう。この人とは気があわない。」
と、自分は100%正しい、相手が間違ってる。と決めつけながらコミュニケーションしちゃってる。

「この人こんなに意地が悪いのに、なんで友達がいるんだろう。」
自分の見方、考え方しかないと、ついつい思い込んじゃってる。

そういったコミュニケーションを知らず知らずにしてきて、
(人と会うと疲れる)
(一人になりたくなる)


友人からの深い深い質問を通して、自分の現在地を知ることができました。

今まで、36年かけて気づいてしまった、“判断基準で相手を〇✖するコミュニケーション”のパターン
ついつい染みついたコミュニケーションをしてしましますが、
こんな日常の何気ない出来事を通して、
自分がやっちゃってるパターンに気づくことができます。

また、
本当はどんなコミュニケーションをとりたかったのか。

相手とどんな関係を築きたいのか。

自分はどんな時でも、どう在りたいのか。


スタート地点にいつも戻って、何度でもチャレンジしていきたい。と
改めて思うことができました。