アフター

自分の不安・恐怖でいっぱいいっぱいだったあの頃からくらべ、今では違った自分がいます。

子供が泣いていたら、前は一生懸命泣き止まそうとしていました。
泣いたら泣き止まさなきゃいけない。と無意識に思っていました。
子供を泣かせているダメな母親、と思われるのが嫌だったんだと思います。

でも今は、
この子はどうして泣いているのか。
を考えるようになりました。

眠たいのかな。
具合がわるいのかな。
寂しいのかな。

例えば寂しかったら、膝の上に座らせてみたり。
目線を子供の高さに合わせて、ゆっくり話を聞いてみたりしよう。
と、意識するようになりました。
言葉かけも
「どうしたの?」や「大丈夫だよ。」
という言葉かけに変化しました。

以前は周りの人たちからどう見られるか、がとても気になり、“良い母親”にならなきゃいけない。という強迫観念のようなものがありました。

しかし今はまだ幼く自分の考え、気持ちをうまく表せない子供に対して、
この子はどうして泣いているのかな、
どうして機嫌が悪いのかな、
どうしてこんな言葉を言うのかな、
などの、子供の背景を考えるようになりました。

私の意識が、
この子が今何を感じて何を思うのか、
それを良い、悪いと決めつることなく一緒に共有したい。
という願いに変化していきました。

少しずつの変化ですが、
子供とのコミュニケーションも変化していきました。
「今どんな気持ち?」
「うーちゃんはどう思う?」
などの言葉かけに、子供も
「寂しい気持ち。」
「ママが大好き。」
などの会話をしてくれるようになりました。

こちらが○☓なく、私はあなたと今の気持ちを共有したいんだよ。と願うだけで、私から発する言葉も、子供から発する言葉も、随分違ってくるものだと実感しています。

自分自身に○☓をつけて、こうやってはいけない。こうでなければならない。という固定観念に縛られていると、自分のことで精一杯で、相手の気持ちや自分が本当はどんな関係を相手と築きたいのかに、意識が向きません。

子供との深いコミュニケーションを意識するようになって、主人とのコミュニケーションも変化させていきたいと願うようになりました。
「どう思う?」や「どうしたい?」など、私の質問も変化していきました。
17年ほどの長い付き合いのある主人ですが、聞いてみないとわからないことがたくさんあるんだな〜と最近しみじみ感じています。

主人は本当に家族を一番に思ってくれていて、大切にしなきゃ、自分が守らなきゃと強く思っている人ですが、
そう思わせているのは、主人が育った家族がそうだったんだろうか?
どんな経験、思いが主人を家族想いの主人にしてくれたのだろうか?
と、もっと共有したいな、と思うようになりました。

子供との関係性の変化から、
主人どの関係性の変化まで、
今ではより深いコミュニケーションをとっていきたい。
という願いが強くなりました。

また家族以外の人に対しても、以前では考えられないほど人間関係に前向きになっている自分がいます。
以前は人と合うと疲れる。というイメージがありした。
こう言ったらどう思われるだろうか、と思うと本心を話せなかったり、
あんなこと言っちゃったけど、良かったかな?とひどく気になったり、
本当の気持ちを言ったらケンカになるんじゃないかな、とうわべだけの会話をするようにしたりしていました。

ですが、どんな人にもその人の言葉・表情・行動には背景があるんだということに気づいたのです。
その背景まで共有することで、
今まで、
この人何考えてるんだろ。
で終わっていた自分のコミュニケーションが大きく変化するようになりました。

例えば、
自分も自分が発した言葉の背景を、
相手も相手が発した言葉の背景をお互いが共有し合える、そんな関係性を築きたい。と思えるようになったのです。
このことは私の中でとても大きな変化でした。