通園して早一年

町内の幼稚園に通い始めて早一年

上の子は年長になりました。

年長になってもクラスはそのままで、先生だけ変わりました。

幼稚園に入ったら新しいママ友とかもできるかな~

と去年ドキドキしながら子供と通園したのを覚えています。

近所に住む4つ年上の子を持つママ友は

幼稚園で友達になったママさん達が結構いて、

今でもしょっちゅう家で子供同士を遊ばせたりしています。

それを見ていた私は自然とこんな風に友達がたくさんできるのかな、

できたらいいな、と期待していました。

 

ですが、一年たった今、

いまだに家を行き来して遊ぶ新しいママ友もいません。

(これからできたらいいけどぉ。。。)

そのせいか、楽しそうに話している同クラスのママ数人を見ると

「寂しい。」

と思っちゃうことが多々あります。

もちろん私も普通に何てことない会話をしたりはします。

だけど、子供が教室から出てくるのを

ポツンと一人で待ってたりする時とか、

挨拶以外、誰とも話さず幼稚園を後にするときとか、

「寂しい。」

という思いが胸を支配します。

 

振り返ってみれば、

もともと学生時代、友達を作るのが苦手で、

とういか、なんてことない会話が苦手で、

友達はいるけど、いつも決まった友達、

その子がいないときはポツンっとしてたっけ。

それが嫌でした。

正確に言うと、「寂しそうな人」と思われるのが嫌でした。

だから別に興味もない会話になんとなく入れてもらってたり、

なんだか無理して笑ってるような、

相手に合わせているような感覚をもってました。

私はきっと無関心、無感動な人間なんだ。

と、ずっと思っていました。

 

こんなことを人に言うと

「見えないよ~。」「友達たくさんいるやん。」

などとは言ってくれるけれど、

私がそうだと思い込んでいるので、私の私に対する認識は

「私はつまらない人間なんだ。」

「人から何の興味も持たれてない人間なんだ。」

なのです。

だから、私から見える景色(認識画面)はこのようなものとなり、

人と関わる時

「寂しい。」

という思いが支配するのです。

他者ら見ると全然寂しそうにも見えないし、

いつも気さくで話しやすい人と見えていたとしても、です。

 

ですが、ここまで自分を客観的に整理しているおかげで、

「寂しい。」という強い不安感に押しつぶされることはありません。

昔は、押しつぶされ、人と関わりたくない、

消えてしまいたい。とさえ思っていました。

 

整理し、どうして「寂しい。」と思ってしまうのか、

がわかってしまえば、

この不安感に押しつぶされることは回避できます。

それは幼少期のトラウマや経験、

その時決定したアイデンティティ(自分をどう思うか)を知ることです。

私は無意識エンジン発見セッションによって、

その時のマイナス決定を発見することができました。

人間ならみんなトラウマがあります。

私にはない。あの人にはない。

というものではありません。

そして、そのトラウマによって作られた「自分をどう思うか。」

によって、人生までその通りの人間として生きています。

 

36年間もこの「自分」で生きちゃっているので、

なかなか「自分をどう思うか。」

をリセットすることは難しいですが、

トレーニングですね。

積極的に人と関わって

環境によって作られたアイデンティティを生きるのではなく、

自らが選んだアイデンティティで生きていきたいし、

子供にもそんなアイデンティティを選択して生きてほしい!

と強く願うのです。